ライブリートークのホストは
厳選採用で集められた、言わば
話を聴くのが得意な人たち。
一人ひとりに
ストーリーがあり、
愛がある。
株式会社Livelyは、2023年10月9日(トークの日)に創業3年を迎えました。
「話を聴くにチャンスをつくり、孤独を減らす」というパーパスの元、
話を聴くのが得意なホストの採用と教育に取り組み、
アクティブリスニング(話を聴く体験)のマッチングプラットフォームLivelyTalkの運営をしてきました。
LivelyTalkのホストたちは、多種多様な経験を持ち、一人ひとりに「なぜホストになったのか」というストーリーがあります。
(クリックするとストリーリーが見れます)
ある日のこと、親友から電話がかかってきました。 友人「(婚約者から)他に好きな人ができたから別れてほしい。ってラインきてん、どうしよう」彼女は、ショックで茫然自失といった様子でした。
突然の事に驚く私に、ゆっくり状況を話し出してくれました。私に伝えながら、彼女自身も少しずつ状況を把握して落ち着いてきました。そして、泣きながら、彼になんて返事をしたらいいのかわからない。と言いました。
こんな時でも相手への返事を気にする彼女の律儀さに切なくなり「返事しない。ていうんも返事ちゃう?」と言うと、驚いたように「ええんや、返事せんで」と言い、安心したと言って笑いました。
現在、幸せな結婚をした彼女は、「あの時はほんまにやばかった!聞いてもらってほんまに助かった」と言ってくれます。ただ聞いているだけでしたが、心の負担を軽くする手伝いができたなら良かったなと思いました。聞くこと、話すことの大切さを実感しました。
「聞いてくれてありがとう」が原点です。
昔からよく相談を受けてはいたものの、特に気の利いたコメントをするでもなく、ただ聞くことしかできませんでした。
言葉・表情・声色、とにかく相手の全てに集中していた、というよりそれしかできなかったんです。
でもある時、友人の話が終わり「何もできなかった…何を伝えたら良かったんだろう」と考えていると、「真剣に聞いてくれてありがとう」とその友人が私に伝えてくれたんです。
まとまっていない話を最後まで聞いてくれたことが嬉しい。安心して話せたし、話したら気持ちがラクになった。そんな内容でした。
それを聞き、今まで話を聞いてきたことがすべて報われた気がして、とっても心が満たされたのを覚えています。
誰かに話すだけでこんなに変わる!ということを話す側としても知ったのは、だいぶ後のことでした。
話していたら自然と心が元気になる場所、そんな空間を作りたい!の思いで、今ここにいます。
「2020年の夏、ある俳優さんがこの世を去りました。
10年ほど前、私はよく彼の活躍を見ていました。最近ちょっと元気がなさそうだな?と、気になっていたのでこのニュースに大きなショックを受けました。
秋になって、私が書いたブログの1記事が、3日で5万ビュー、3000のイイネ!がつきました。いただいたメッセージの多くは「一人で抱えているのが辛かったけれど、ブログを読んで私の気持ちに共感してもらえたような気がして、少し楽になりました」と。
彼が相談できる人や場所を持てていたなら良かったのに。そして、そのことで苦しんでいる周囲の方が、安心して心の内を話せる場所があったら良いのに、とこの時強く思いました。
独身時代、一時期友人とルームシェアをしていたことがあります。何気ない日々の会話がどれほど心を楽にするかを実感していました。LivelyTalkなら実現できる!これが私の原体験です。
私がホストになりたいと思った理由は、大切な友達から「あなたに生命を救われた」と言ってもらえたからです。
ただ、一生懸命に聴きました。理解も共感も出来ない事もありましたが、私に出来るのは逃げずに受け止める事だけだったのです。
聴く技術も無く、励ましたり、アドバイスもしました。時には否定的な事も言ってしまったけれど…。何でも話せる相手の存在は、生命を守れるのだと知りました。
その後、カウンセリングや心理学を学びました。聴く技術を身につけて、メンターの指導を受けながら仲間と研鑽を重ねて来ました。
学ぶ中で私自身も話す事、放す事で生きる事がとても楽になってきたんです。
私は自分の半径3メートルの人に優しい世界を作りたいと思っていたのですが、メンターから「もっと範囲を広げてみたらどうですか」と言って頂けるようになり、そんな時にLivelyTalkに出会い、ホスト候補として採用して頂き、デビュー準備を頑張っています。
少し前、10年くらい前のお話です。私は家族を亡くしました。
自死でした。当時私は仕事の忙しさもあり、向き合う事、話を聴く事がおざなりになっていて、そうなったのは自分のせいだとずっと思い苦しんできました。
そんな自分の癒すかのように人の話を聴く事を意識し始めるようになったと思います。
一年くらい前からSNSで悩み相談を受けるようになり、ある時不登校で自殺願望のある女子高生の相談を受けました。
私は過去の苦しみから解放されるような気がして、彼女の話に耳を傾け、想いを受け入れ、一緒に泣きながら彼女の話を聴きました。
何度かのお話聞きを経て彼女の気持ちも落ち着いた頃、彼女からこう言われました。
「けいさんのような、人を元気にする人になりたい。私、これからめっちゃ勉強してスクールカウンセラーになって、同じ苦しみを味わっている人に寄り添ってあげたい」
この言葉が私がホストとして活動できる原動力になっています。
私、LivelyTalkのホストに泣かされたことがあります。
出産をきっかけに、ひとと話す機会がグッと減りました。その内に「大人と話したい」という欲が膨れ上がりました。
オンライン読書会に参加したくて、朝から子供とのスケジュールをきっちり管理して迎えたその日の夜。子供はさっぱり寝ませんでした。読書会はほとんど参加できず、モヤモヤ。Lively talkへ駆け込みました。
私はちょっと愚痴を言うぐらいの気持ちでした。でも話してる内に、気がついたら画面越しのホストが涙を流していました。そう、私じゃなくてホストが。その涙を見ていたら私もじわじわと涙が。
私、本当は泣きたかったんだ。
それは、私が無意識に心の奥に押し込んだ気持ちでした。
本当の気持ちを知る解放感、受け止めてもらえる喜び。
あの時のホストにしてもらったこと。今度は私が誰かのためにしてあげたい。
今、私はホストをしています。
私は親にジャッジせずに話を聴いてほしかった気持ちを抱えたまま自身も2人の娘の親となりました。奥深くに気持ちを沈ませる癖がずっと残っていました。
そんな私に変化が起きたのは、繊細な我が子の子育てで悩んだ時にジャッジせずに聴いてくれる場に出逢えたことがキッカケでした。
当時の私はママ友にも悩みを話せず、パートナーシップでも悩んでいたので身近な夫にも相談できませんでした。長年の心の不調は身体に影響し、不安障害、摂食障害に悩まされ、家から出られなくなるほどでした。
そんな出口の見えないトンネルの中にいた時間も今思えば学びとなった大切な経験です。
ですが…やっぱり思う。
そこまで抱える前に誰かに話せたら。身近な人にこそ話しづらいことを聴いてくれる人がいたら。
何かのきっかけで世界の色も見え方もガラッと変わる原体験があって今に至り、同じように悩む方の気持ちに寄り添えたらとLivelyTalkのホストになりました。
数年前、流産をきっかけにメンタルがどん底に落ちたときがありました。自分はポジティブな人間だと思っていましたが、こんなにやる気が起きなくなったのは初めてで、自分の存在価値を感じられなくなっていました。
そんな時、「人に話を聞いてもらう」ことが、私をどん底から救い出してくれました。「やりたくないことは一切やめたって問題ないよ」「全部やめて休んだら、また自然にやる気が出てくるから大丈夫だよ」話を聞いてもらうなかで、自分でも気が付かなかった自分の本当の気持ちと向き合いました。その結果、周りの目や自分のキャリアを気にしすぎたあまり、自分の気持ちに蓋をしていたこと、自分を大事に出来ていなかったことに気がついたのです。
自分と向き合うなかで、自分の幸せは「人を笑顔にすること」だとわかりました。「自分が人に話を聞いて救ってもらったように、今度は私が誰かの助けになりたい。」そんな思いでお部屋を開けています!
『私が一番の理解者だよ』
これは、私の結婚式の時に双子の相方からもらったメッセージ。
何かあればすぐに話したくなる相手。何を話してもジャッジされないし、まとまりのないマシンガントークも受け止めてくれる。ただただ頷いて気持ちに寄り添ってくれる。
自分にとって誰か1人でもそんな存在があれば、大げさかもしれないけど、何があっても生きていけると思う。
荒波の感情を凪にしてくれる存在。
私が誰かのそんな存在になれたらと思った。
スクールカウンセラーになりたくて心理学を勉強した大学時代、新卒で葬儀会社に勤めてご遺族に寄り添った3年間、結婚して子どもができてからも現在進行形で『ただただ聴いて寄り添うことで誰かの支えになれたら幸せ』が私のベースにあって、そんな想いでホストをしています!
「バシンッ」
私の目の前で父親が怒鳴りながら母親の頬を叩いた!
「シャッ」
次の瞬間、僕のブラインドカーテンに母親の鼻血が飛び散った...。
これは、小4の頃の出来事。(私は緑のパジャマを着ていた)
私の両親はとても仲が悪かった。2人で笑い合っている姿を見たことがない。本当に仲が悪かったかは当時の私は知らない。
両親が2人とも他界した今となっては確認する術がない。
その時から私は"笑うこと"を大事にしている。
"笑うこと"は私の中での心の安らぎ。誰かの"怒っている顔"を見ると、防御本能が働きガードをあげようとする。硬化薬がこの世にあるのであれば、私は常備しなければならないだろう。
何が言いたいかと言うと、"笑うこと"を大切にしたいという事。
それよりも言いたいことは、"緑色"が好きという事!
もしかしたら、心の安らぎを求めて"緑色"をまとうのかもしれない。その真相は、私の深層心理の中にあるので誰にも分からない。
私は、学生時代から、先頭に立ってみんなを引っ張るようなリーダー気質ではなくて、リーダーの隣で話を聞く係でした。
例えば、高校の文化祭の準備の時、クラスの中心でみんなをまとめる子の横で「なかなかうまく練習が進まなくてつらい」という話を聞いたり。 例えば、会社員になって年数を重ねると、上司から「実はこういうことを考えているけれど、みんなに伝わらなくて結構しんどい」という話を聞いたり。
私は、「リーダーになれない」もしくは「リーダーになることを選ばない」ということを、少し引け目に感じていたこともあります。けれど、これこそが私の気質だと認めてから、私らしくできることを探してきて、LivelyTalkにたどり着いた感覚があります。
話をしてもらうことで、相手の心が少しでも軽くなり、救いになれば嬉しいという気持ちとともに、私らしく人の役に立てることが、私自身にとっての救いでもあるのかもしれません。
私はこれまでコールセンター 1社で 13年努めてきました。話好きが好じてたくさんの方らか嬉しいメッセージをいただくこともできました。
ある時お年寄りのおじいちゃんから「電話をすぐに掛けられる方法は無いか?」そんな相談をいただきました。
単に発信履歴から電話を掛ける方法をご案内するだけで済む話ですが、私はお客様の話を『聴く』タイプです。
どうも「毎週お孫さんと電話をするのが楽しみ」だったそうです。
話好きのお陰でこんなニーズを聞き出せたってことは当然お客様には
「今ではお孫様と顔を見ながら電話することができますが、楽しみなのでしたらお電話だけではなくビデオ通話の方法もご紹介してもいいですか?」
と案内しました。
お客様は大変驚き、そして喜び、とても感謝されました。
話を聞くというのは『訊く<きく>』ということも大事で、話が好きだからこそできたことだと思いました。
私の原体験はここから始まっていると思います。
子供の頃、祖父から出征した時の話を聞く機会が1度だけありました。
何度も話しているので今では自分の子供達は誰も聞く耳を持ってくれないけれど、今日聞いてくれてよかった、嬉しかったと。
私には到底想像すらつかない祖父の戦争体験、当然何か言葉を挟めるはずもなく黙ってただ祖父の目を見て聞くことしかできなかったのに、とても喜ばれたのが深く心に残り、恐いと思っていた祖父の存在が近くなりました。
祖父のその計り知れない経験を消化するためには、人にたくさん話しを「聞いてもらう」ことが必要だったように思います。
私はこの日初めて話を聞くことで喜んでもらえる、人の役に立つということを知りました。それからは丁寧に、話している人の気持ちを受け取るように話を聞くことを心がけています。
「話を聞いてくれた」ということが多くの喜びや癒しを人にもたらすのだと実感し、私は「聞く」ことで人や社会の役に立ちたいと思っています。
自分は昔から人に話すのが苦手な子だった。だってちょっと話すと、それ違う!と否定されたり謎のアドバイスされたり、いつの間にか聴き役になっていたり(笑)(もちろん相手も傷つけようとしてやってるわけじゃないんだけど…)
でもある時。うつ病になってたくさん聴いてほしいことがあるのに誰にも言えない。そんな時に友人が「ただ聴く」をしてくれた。
いつの間にか涙があふれていた。
否定も肯定もしない。「そうだったんだね。」と聴いてくれた。最初は当たり障りのない会話から。あいづち、かえってくる言葉、どれも友人が話しやすいようにたくさんの工夫をしてくれていたのがわかった。
「100%聴いてもらうって、こんなに心地いいんだ。」
びっくりするほどスッキリした。心の中にあったモヤモヤをほうきで掃いて水拭きまでしたみたいにスッキリしていた。
「聴く」ってすごい!
私も誰かの「聴いてほしい気持ち」に寄り添いたい、そう思うようになった。
幼少期から、かなり長い期間、「おねえちゃんなんだから一人でできるよね」「しっかりしているから大丈夫ね」などと言われ続けてきたこともあってか、その期待に応えようとなのかわからないけど、人に相談しないで自分で考えて行動する大人になっていったようです。
そして、そんな自分を嫌いではなく、むしろそれが自分らしさだ。くらいに考えて生きてきました。
20年以上前に親の闘病や介護に直面した時に、どうにも一人で抱えこめなくなってしまい、勇気を出して、同様の経験をした方に、ふっと心の内を話してみました。
その方は、ただただ、ひたすら、話を聴いてくれただけでしたが、その時、どんなにか心が救われたことか。
晴れ晴れした心にはすぐにはならなかったのですが、ただ、私の話を聴いてもらえた。それだけで、詰まっていたこころのもやもやがすっとしたのです。
この経験以降、私は話を聴くということの大切な意味を理解できた気がします。
私は、人とのコミュニケーションが苦手なタイプの人間だと思っていたんです。高校生のとき、電車で知り合いの人と鉢合わせしそうになったら、明らかに不自然に下を向いて、空気になろうと念じながら、喋る機会を極力減らす努力をしていたくらいw
初めて転職をしようと転職エージェントさんに話を聴いてもらったとき「視野が狭いから、もっと人と会って価値観に触れた方が良い」と言われコミュニティを紹介してもらいました。初めは知らない人と話すなんて嫌でした。でも、転職できないのも嫌。
なので、コミュニティに所属し、様々な人と話すことになったのですが、気づいたら人の価値観に触れる体験にワクワクしている自分がいたんです。
そのあとは、あら不思議。営業や接客業に転職して様々な方と出会う仕事に就いています。
話を聞いてもらったことで、自分の殻を破るキッカケになったんじゃないか、そう思います。私がLivelyTalkをやる原体験です。
私には「宙(そら)の会」の友達がいる。
彼女とは職場の統廃合で出会い、一緒に仕事をした。新しい組織では融合・進化を掲げていたものの、それまでの文化が異なることで対立にもなりそうだった。その中で、私は異動してきたメンバーたちの言葉づかいを真似するようにしていった。
ある日、外出先で時間調整が必要だったので、つらつらと2人で話しながらコピー用紙に絵を描いていった。話を聴いていくと、やっていきたいこと・変えていきたいことがどんどん出てきて、わくわくぞくぞくした。
彼女はこのおしゃべりの時間を「宙の会」と名付けてくれた。理由は、とても自由で、どこまでも宇宙の果てまで行けそうだから。
その時すぐに実現できなくても、だれかと話すことで遠くを見ることができる。そのことを意識できるようになったのは彼女のおかげです。
奈良県の静かな山間に生まれた少女、ミニおりえってぃ。彼女は幼い頃から、人の心の奥底に秘められた言葉を引き出す特別な才能を持っていた。
小学校に入学早々、クラスの女子3人によるいじめに遭遇する。ある日、犬の糞を頭に乗せられるという屈辱的な出来事が彼女の運命を変えるキッカケとなった。彼女は「くそっ」と絶望に打ち勝つ覚悟を決める。
巧妙な計画を練り、クラスメートとの1対1のアポイントを設定し、個別の対話を通じて友情を育む方法を模索した。相手の心に寄り添い、その話に真剣に耳を傾け、共感し、支えることで、彼女は一つ一つの友情を築いていった。
彼女は変わった。逆境を乗り越え、人々の心を繋げる力、つまり「聴く力」を通じて、彼女自身と他人の生活が根本的に変わっていく様子に何度も遭遇し、LivelyTalkのホストとしてのキャリアをスタートさせた。是非一度彼女の「聴く力」を目に焼き付けてほしい。
いつも自然と聞き役だった。友人はもちろん、心理カウンセラーだった母との会話でさえ。「聴く」が大好きな一方、実は「話す」は得意じゃない。仕事でも「聴く」スキルを活かして活躍したが、結婚と出産を機に退職した。
見知らぬ土地で義実家の家業を手伝いながら、家事育児をワンオペで回す日々。色々な事に、耐えるしかなかった。
数年が経ったある日、義実家のご近所さんからお茶に誘われた。別段仲が良い訳ではない。会えば挨拶する程度の仲。そんな彼女はコーヒーを燻らせながら、私の言葉を待っていた。
私はティーカップに目を落としながら、何を話せばいいのか全然分からない。取り敢えず、脈絡もなく、浮かんだ言葉を口にする。
やがてそれが会話になった。笑って、愚痴って、駄弁って、たくさん喋った。
晴れやかな気持ちで手を振る別れ際。
「溜まってそうだったから、とにかく聴こうと思って。話してくれてよかった。」
彼女は爽やかに笑った。
「あなたが大人になって許してあげなくちゃ」
「だって、あなたが選んだ道でしょう?」
「その人にもきっと事情があったと思うよ」
これは全部、私が話を聞いてほしくて相談機関に行った時に、その時の相談員さんが言ったセリフです。正直に言うとショックが大きく、相談する前よりも落ち込み、しばらくは立ち直れませんでした。
その時の私は、ただただ話を聞いてほしかった。ただ、そうだねと寄り添ってほしかった。
そんな経験から「ただ話を聞いてもらう」ことの大切さがよく分かるようになりました。今度は私が、まずはただ話を聞こうという場を提供したいと思っています。
ただ話を聞いてもらうことでしか、得られない心の栄養、活力があると信じています。あなたにも、その良さを体験してほしいです。
わたしは元々コミュニケーション下手…。
過度に緊張する、言葉に詰まる、声が小さい、無表情、引っ込み思案…挙げればキリがないほど。笑
そんなわたしが人と関わるのが楽しいと思えるようになったのは、20歳のころに出会ったバイト先の店長さんのおかげ。
当時のわたしは、接客業なのにお客様とケンカするほど心が不安定でした(ヤバイ…笑)
でも、店長さんはわたしの話を聴きながらときには面白く返してくれました。その何気ないやりとりが本当に心の支えでした。
こうしてわたし自身が聴いてもらって変わった経験があるから、聴くことは絶対に誰かの希望になると確信しています。聴く=愛情だから。
今度はホストとして愛の循環をするためにLivelyTalkにいます♪
そして17年経った今も、実はその方とお話しするんです^^
「こんなに話せる人いないよ~!聴いてくれてありがとう!」と笑顔で言ってもらえるのが本当にうれしい!
もう大丈夫。みんな笑ってこ~!
私は、物心ついた頃から、自分に自信がなく、人に許可をもらえないと行動できなかったり、自分は嫌われていると思ったり、人の顔色ばかり伺っていたり、1人で抱え悩んだ事が多々ありました。
相談したり気軽に話せるような人がいなかったのですが、ある日「人生をよりよくしたい!本気で自分を楽しみたい!」と思い、自分観察をしはじめたところ、自分がいろんなことを感じていることに気づきました。そしてどんなに小さなことでも感じたことを夫に伝える=話すを徹底的にしてみたところ、感じたことを話すことで、自分そしてパートナーとのコミュニケーションが風通しのいい関係になり、なぜか現実も私好みにどんどん変わり、今ではとっても幸せな人生を楽しんでいます。
これも話を聴いてくれる人、応援してくれる人がいる有り難みを実感したからこそ。感じることに良い悪いなんてない。そこに気づけたことがLivelyTalkをする原体験です。
「ここにサインして」と差し出された退職願。「一旦持ち帰っても良いですか?」と聞く私に「今決めて」と一言。
何かが吹っ飛んだ瞬間だった。「分かりました。」と言って私はサインをし、一か月半後に退職した。
突然の退職に、自分の感情が全然分からなかった。悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか。
外見は普通だけど、内面はゾンビのよう。死んでいるのか生きているのか分からない状態。
そんな時に、ひたすら私の話を聴いてくれた人がいた。
最初はうまく言葉が出てこなかったけど、ただ聴いてくれて寄り添ってくれたからこそ、詰まっていたダムが決壊するかのように自分の感情が溢れ出た。
怒ったり笑ったりありのままの想いを吐き出し、私は晴れ晴れとした気持ちでゾンビから人間に戻っていた。
話すだけでも救われる感覚を、感情迷子の人に体験してほしい。
話すことで気づける感情や想いを知ってほしくて、ホストになりました。
私が介護福祉士として高齢者施設で働いていた時のことです。
入所者には認知症の方も多く、介助拒否をされる方もいられました。Aさんも拒否のある利用者さんでした。
彼は頑なに介助を嫌がり、どうしたものかと対応に悩んでいました。
ある日、施設が所有する田んぼの田植えがあるとのことでAさんをお誘いし、一緒に見学することに。田植えの様子をじっと見ていたAさんは、不意にぽつりぽつりと話し始めたのです。
私は彼の言葉を遮らず、聴くことに集中しました。昔、田んぼや畑で作物を育てていたこと、飼っていた猫の話、彼のご両親のこと。Aさんは私に笑いかけて言いました。
「ああ、思い出したよ。ありがとなぁ」
その出来事があってからというもの、徐々にAさんのお世話をさせてもらえるようになったのです。
歳をとって認知症になった方でも、聴くことによって心を開いてもらえることもあるんだ。そう思えた出来事でした。
わたしは、2人の幼児を子育て中のワーキングマザーです。キャリアを取り戻すためにフルタイムで復職し、常にフル稼働でバリバリと働いていました。
しかし!身体は正直でした・・・。頭痛や胃痛、PMSなどのトラブル続き悩まされることに…。
原因はどれも過剰なストレスでした。「ママ」「会社員」という役割に囚われ、本当の自分を見失っていたんですよね。
もしあのとき、「ママ」でも「会社員」でもない、本当の自分になれる場所があったらよかったな・・・と感じています。
こんな自身の経験を経て、今まさに何かの役割を全うしようと踏ん張ってる人に対して、「本当の自分」になれる居場所づくりのサポートをしたいなと思い、ホストになりました。
シングルマザーでしゃかりきに働いている時に、癌になったことがありました。その時はまだ小さな子供たちを抱えていましたので、どうしても毎日不安に襲われていました。
そんな時、アドバイスするでもなくたんたんと話を聴いてくれたのは母親でした。カウンセラーや傾聴の勉強などもしたことのない母親ですが、親身なり話を聴いてはうなづき、同調してくれました。
この時に、目の前の事態は変わらなくても、話すことでスッキリし、あるがまま目の前の事を受け止める事が出来ることを知りました。
全受容のスタイルの母親が、私のカウンセラーでもあります。スキルや知識ではない、寄り添いのマインドこそが、その人の再生を促すことを深く理解できました。
この事から私も、いつもそっと側にいて欲しい人になろうと決意し、『寄添屋ひろこ』として活動を始めました。全受容で、話を聴いてもらうという事は、丸ごと癒されていく体験なのかもしれません。
医療職出身で元専業主婦の私にとって、会社をつくってビジネスをする人は、自分とは別世界にいる住人のように思っていました。実際に、昔からの友人に久しぶりに会って話すと、「なんで起業したの?」と私の起業について不思議そうに尋ねてきます。
理由はシンプルで、「話を聴くという仕事」が世の中に絶対に必要だと思ったから。いつかは必ず世の中に当たり前のものとして普及するにも関わらず、まだ成し遂げられていなかったからです。
誰かがやってくれるのを待っていても良かったのかもしれませんが、どうせなら、私たちが成し遂げる側になる挑戦をするのも面白そうと思ったからです。
Livelyを設立してから3年。
たくさんの人にその私が信じる未来の当たり前を話してきました。「それって仕事になるの?」「あなたにできるの?」と言われたこともあります。
正直な話、最初の頃は言われるたびに、自分の自信がゆらぎそうになっていました。それでも前を向いて進むしかないと、ゆっくりでも歩みを止めずにやってきました。
すると、いつの間にか、何を言われても気にならなくなりました。自信が揺らぐこともなくなりました。なぜかって言うと、この理由もシンプルで、一緒に信じてくれている仲間がたくさんいるからです。
LivelyTalkを利用する人って自分らしく輝いているよね。といわれるくらい、みんながLivelyTalkを楽しんでいる未来が、LivelyTalkで輝いている未来をイメージしています。
なぜなら、話を聴くには価値がある。
そしてこんなに素晴らしい仲間たちがいるのですから。
株式会社Lively 3周年に寄せて
株式会社Lively 代表取締役CEO 岡えり